同性婚訴訟違憲判決の全文解説

2021年3月17日、日本で初めて同性婚不受理を違憲とする判決が出ました。

場所は札幌地裁、原告は複数の同性カップルの方でした。

その判決は以下のようなもの。

  • 同性婚の婚姻届を不受理とすることは憲法14条について違憲である
  • しかし憲法13条、24条については違憲ではない。
  • 不受理自体は違憲であるが、同性婚の議論が深まってきたのはごく近年であり、違憲を長年放置したとは言い切れないことから賠償は棄却する

 判決 原告の請求棄却、国の勝訴 

 

同性婚違憲と認めつつも、賠償請求は棄却されたため、勝者である国は控訴がおいそれとは出来ない状態に追い込まれました。

※なお「賠償請求」とはいいますが、これは日本の裁判で違憲を訴えようとなると、違憲だけでは困難であり、多くの場合「お金が絡む」ものにしなければ民間人が訴えを起こすことは出来ない状態にあるためです。お金が主目的というわけではありません。

 

この画期的な判決は、あくまで地方裁判所という下級の裁判所が出したものであり、今すぐに国に動揺を与えるものではありません。

しかし、一定の猶予が有る「違憲状態」(ぎりぎりアウトで、国会による修正まで待つニュアンスが有る)ではなく、素早く是正を考える必要がある「違憲」(現時点でアウトというニュアンス)という表現は衝撃でした。税金で無尽蔵に法律の専門家を使える国を相手に、地方裁判所憲法判断を出させるというのは実にドラマチックです。

 

この札幌地裁の判決文は、現在、原告の支援サイトで公開されています。

PDFリンク

法律というのはわかりにくいものですが、今回の判決は日本の結婚の形を大きく変える可能性を秘めています。そこで少しでもその理解の助けになればと、ざっくりとではありますが全文をまとめ、ここに置いておきます。

 

願わくば、よりよい未来が来ますように。

 

 

 

※注意事項

①可能ならば、判決文のリンクからオリジナルの判決文と見比べて読んでください。間違いを何処で犯しているかわからないので……。

②青い枠と、『』囲みは判決文の引用です。

黄色い枠は要点を整理した箇所です

 

 

○歴史的事実と統計データ

まず地裁は認定事実の頁において、次のように事実を指摘しています。

  • 明治以降、同性愛は精神疾患と認識されてきた
  • 明治民法においては、婚姻とは「家のためのものであり、戸主や親の同意が必須であり、夫が妻に優先する」ものであった。
  • したがって明治民法では「同性婚は否定されて当然であり、法に規定するものではなかった」と解釈できる。
  • 現行民法においては、婚姻とは憲法24条一項に基づき「両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本とする」ものである。
  • 憲法24条の「両性~」の定めは明治民法における「家を中心とする家族主義」を否定することを主眼としたもので、それを根拠に構成された現行民法においても同性婚については検討されてはいない(明治民法を踏襲し不文律で否定するもの)。=ここでは「同性婚」は「芸術と結婚する」というような法的婚姻とは結びつかないもの
  • 平成に入り、各国で同性婚、同性パートナーシップ制度の議論が始まった。

 これらの前提を、日本における同性愛や婚姻に関する統計データを示しつつ、判決では時系列に沿って丁寧に解説しています。

これらを受け、つづいて判決文は憲法判断に入ります。

 

○本件規定が憲法 2 4条又は 13条に違反するか否かについて

まず憲法24条、および13条は以下のような条項です。

 

 憲法24条

①婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

②配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 

 

憲法13条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

 

 

まず冒頭で、婚姻制度について憲法が何処まで踏み込むかを定義しています。

 

婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものである。したがって,その内容の詳細については,憲法が一義的に定めるのではなく,法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられる。

 

憲法にはあくまで「婚姻制度がある」「一般に婚姻制度には何を備えるか」のようなことを定めるもので、『具体的な制度の構築を~国会の合理的な立法裁量に委ねる』としています。ただ同時に、国会が決めれば何でも良いのではなく、その具体的な制度は24条1項や、2項の『個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきである』といった方針に従わなければならないと指摘しています。

 

! 婚姻制度は24条を方針として、国会が決める

! 24条を否定するような婚姻制度は国会も決められないグレー(家制度の復活など)

 

 

次に判決文は24条1項に触れています。まず同項について、

『同条1項は婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される』

と分かりやすい解釈を述べています。そのうえで、夫婦が同権であることなどを同項が定めていることから、「配偶者の相続権」「嫡出子に関する定め」などは同項も効力を与えているとしています。

このような法的な効力を持つ婚姻=『法律婚』は、再婚禁止期間に関する最高裁判例などを示しつつ、いまの国民意識では多様な家族婚(事実婚など)があったとしても尊重に値すると示しました。

 

 ! 24条1項は「いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきである」という原則を示している。

! さまざまな結婚の形の中でも法律婚は尊重すべきもの(他制度で代替すればいいというわけではない)

 

 

判決文は以上の規定から、24条の「自由な意思決定」「尊重」の中に同性婚を含めるか検討していきます。まずはじめに、冒頭にあった歴史的事実が再度示されています。

 

明治民法においては,同性婚を禁じる規定は置かれていなかったものの,婚姻は異性間でされることが当然と解されていたためであり,同性婚は,明治民法に規定するまでもなく認められていなかった。

昭和 22年民法改正に当たっても同性婚について議論された形跡はないが,同性婚は当然に許されないものと解されていた。

 

このことから、判決は24条と同性婚についてこう判断しています。

 

(昭和22年民法改正と同時期に定められた現行の)憲法においても,同性愛について同様の理解の下に同法2 4条 1項及び 2項並びに 13条が規定されたものであり,そのために同法2 4条は同性婚について触れるところがないものと解することができる。以上のような,同条の制定経緯に加え,同条が「両性」, 「夫婦」という異性同士である男女を想起させる文言を用いていることにも照らせば,同条は,異性婚について定めたものであり,同性婚について定めるものではないと解するのが相当である

 

したがって、「両性」は異性婚を示すという解釈をしつつも、24条はそもそも「同性婚について何も書いていない」とし、「同性婚の自由がない」ことは24条に違反しないと結論づけました。

 

! 24条2項は異性婚について定めたもの

! 24条2項は同性婚について何も定めていない

! 24条は同性婚の自由を肯定も否定もしていないので、現状が自由でないことと関係がない

  

 

またそもそも論として、先に示したように24条は、民法に『婚姻及び家族に関する事項について』具体的に定めるにあたっての『方針』を示したものでしかなく、改めて1項2項を振り返って考えてみても、

婚姻及び家族に関する特定の制度を求める権利が保障されていると解することはできない

としました。

同性婚についてはこの24条が扱う「はず」の『婚姻及び家族に関する事項』なので、同条文に記載がないということは、他の条文でも基本的には想定されていないということがはっきりします(同じ憲法内で矛盾した解釈はできないため)

このことから、憲法の条文にある人権をまとめて守るための『包括的な人権規定である』13条の規定は、『同性婚を含む同性間の 婚姻及び家族に関する特定の制度を求める権利が保障されていると解するのは困難である』が示されました。

 

 ! 24条は国会が婚姻制度について定める方針であって、24条の条文から具体的な何かは要求できない

! 13条は憲法の条文にある人権をまとめて守る(法改正で損なわせないようにする)ためのものなので、そもそも24条に含まれない同性婚を追求することは13条の適用外である

 

 

また現実的な法律の運用でも、24条の法制下(=生殖行為が伴う異性婚が前提)では、生殖行為が伴わない同性婚では実質的な問題が有ると指摘しています。

 

婚姻とは,婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し,戸籍によってその身分関係が公証され,その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという,身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であると解されるところ,生殖を前提とした規定民法 73 3条以下)や実子に関する規定(同法 77 2条以下)など,本件規定を前提とすると,同性婚の場合には,異性婚の場合とは異なる身分関係や法的地位を生じさせることを検討する必要がある部分もあると考えられ,同性婚という制度を,憲法 13条の解釈のみによって直接導き出すことは困難である。

 

! 異性婚を前提にした24条、13条から作られた今の法律では、そのまま同性婚を認めると不都合が生じる恐れがある

! 恐れがある、という仮定であって、だから同性婚を認めないというわけではない

  

○本件規定が憲法 14条 1項に違反するか否かについて

憲法14条1項(以下14条)は次のような条文です。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない

 

 

この条文では、合理的根拠のない理由での法的な差別的取扱いを完全に禁止しています。

この差別的取扱いに同性婚禁止があたるかを、判決では順に考えていきます。

 

まず先に示した24条の解釈のとおり、『婚姻及び家族に関する事項』については『具体的な制度の構築を~国会の合理的な立法裁量に委ね』ることになっています。また同時に、13条から『同性間の婚姻をするについての自由や同性婚に係る具体的制度の構築を求める権利が保障されているものではない』と明らかなので、同性婚について24条、13条から何かを導き出すことは不可能です。

しかし実際に存在するものをまるで無いもののように何も規定しないことは不合理ですから、ここは24条の解釈を使って、『立法府は,同性間の婚姻及び家族に関する事項を定めるについて,広範な立法裁量を有していると解するのが相当である』と判断しています。

 

! 同性婚憲法に規定がなく、国民側から請求する権利も書いてないので、国民の代表である国会が法律を作って決めることができる

  

ではそもそも「差別的取扱い」があるのか同性婚はわざわざ定めなければならないのか、現状の婚姻制度と、婚姻制度のない同性カップルについて検討していきます。

 

まず婚姻制度について、以下のようにまとめられています。

『戸籍法は,婚姻は届出によってできるものとし~婚姻当事者及びその家族に対して,その身分に応じた権利義務を伴う法的地位を付与している』

『婚姻とは,婚姻当事者及びその家族の身分関係を形成し,戸籍によってその身分関係が公証され,その身分に応じた種々の権利義務を伴う法的地位が付与されるという,身分関係と結び付いた複合的な法的効果を同時又は異時に生じさせる法律行為であると解することができる』

以上のような婚姻をすることで得られる権利や義務などを、判決文では『婚姻によって生じる法的効果』と呼んでいます。

そして同性カップルは、これらの『婚姻によって生じる法的効果』を得ることは出来ません。判決ではこの「法的効果あり」「法的効果なし」の差を、『本件区別取扱い』と呼ぶことにしています。

 

これらの差が14条に反するか、争点は以下の通り。

・『本件区別取扱い』が、憲法に違反する「合理的ではない差別的取扱い」かどうか

・『本件区別取扱い』が、24条から想定される国会の裁量の範囲内かどうか

 

この点について、国は『本件区別取扱い』自体が存在しないとして以下のように主張しました。

同性愛者であっても,異性との間で婚姻することは可能であるから,性的指向による区別取扱いはない』

このことについては、実は以前に例があります。夫婦別姓について14条違反であると争われた裁判で、「姓を変更することによる不利益が差別的取扱いである」という旨の訴えに対し、「現実的には女性が姓を変えるケースが多いとは言え、法的には男女平等にどちらが姓を変えても良いことになっているので、全員に対して平等であるから差別的取扱いではない」と夫婦別姓の要求を退けました。

これを今回の同性婚の話と照らし合わせてみると、

 

差別的取扱い?

同性婚が認められない不利益

姓を変える不利益

国の反論

同性愛者も異性と結婚できる

女性も変えないこともできる

国の解決方法

婚姻相手を異性に変えればいい

代替として契約等をすればいい

相手に姓を変えてもらえばいい

裁判所

国の主張を認める

※かなり簡便なまとめなので、具体的には判例参照

※代替としての契約の件は後述

 

こんな感じですね。道徳的にどうかはおいておいて、ここからはこのような国の示す解決方法が憲法違反(差別的取扱いや人権保護違反)になるかが判断されています。

地裁は同性愛がどういうものであり、婚姻がどういうものであるか、過去の判例を引用してかなり丹念に説明を上げています。長いですが、名文だと思いますのでそのまま引用します。

 

『確かに,本件規定の下にあっては同性愛者であっても異性との間で婚姻をすることができる

しかしながら,性的指向とは,人が情緒的,感情的,性的な意味で人に対して魅力を感じることであり,このような恋愛・性愛の対象が異性に対して向くことが異性愛,同性に対して向くことが同性愛である。

また,婚姻の本質は,両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにあると解される。

同性愛者が,性的指向と合致しない異性との間で婚姻することができるとしても,そのような婚姻が,当該同性愛者にとって婚姻の本質を伴ったものにはならない場合が多いと考えられ,そのような婚姻は,憲法 24条や本件規定が予定している婚姻であるとは解し難い。

さらに婚姻意思(民法 742条 1号)とは,当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思であると解される(最高裁昭和 42年(オ)第 11 0 8号同 44年 10月 31日第二小法廷判決・民集 23巻 10号 18 9 4頁参照)ところ,同性愛者が,恋愛や性愛の対象とならない異性と婚姻したとしても,婚姻意思を伴っているとは認め難い場合があると考えられ,そのような婚姻が常に有効な婚姻となるのか,疑問を払拭できない』

 

 

要約すると、

性的指向と合致しない、恋愛や性愛の対象とならない異性と婚姻したとしても、婚姻意思を伴っているとは認め難い

したがって、国の言うように「異性と婚姻すれば法的利益を与えますよ」というのは、制度的にはそうでも、有効な婚姻を成立させられていないので無理な解決方法である、ということが示されました。

 

 ! 法律上は同性愛者でも異性と婚姻できるが、愛していない相手と婚姻させることは有効な婚姻とは言えない

! したがって解決方法は存在せず、『本件区別取扱い』は存在する

 

そこで地裁は、この『本件区別取扱い』が差別的取扱いかどうかを審議しています。

 

○本件区別取扱いは差別か 

まず婚姻制度について、そもそも同性愛が「自由意志」か「個人の性質」かについて以下の通り述べています。

『同性愛は,現在においては精神疾患とはみなされておらず(中略)人がその意思で決定するものではなく,また,人の意思又は治療等によって変更することも困難なものである』

『そうすると,性的指向,自らの意思に関わらず決定される個人の性質であるといえ,性別,人種などと同様のものということができる。』

『このような人の意思によって選択・変更できない事柄に基づく区別取扱いが合理的根拠を有するか否か、(中略)真にやむを得ない区別取扱いであるか否かの観点から慎重にされなければならない』

 

 

次に、「差別的取扱い」と言うからには、差別され与えられていない「法的利益」が無いといけません。そこで『婚姻によって生じる法的効果』が法的利益にあたるかどうかが鍵となってきます。

そこで地裁は統計データや判例を元に、、『法律婚を尊重する意識が幅広く浸透している』こと、また『事実上婚姻関係と同様の事情にある者に対しては,婚姻している者と同様の権利義務を付与することが法技術的には可能であるにもかかわらず,なお婚姻という制度が維持されていること』(=住民票上の事実婚でもかなりの権利が認められているのに、戸籍上の法律婚が現存すること)を示し、、婚姻には価値があり、『婚姻することにより,婚姻によって生じる法的効果を享受することは,法的利益であると解するのが相当』と、法的利益を認定しました。

そしてこの利益について、

  • 24条がわざわざ保障していることから、重要な法的利益と言って良い
  • 異性愛者と同性愛者の差異は性的志向のみである
  • 性的志向の差のみで、受け取る法的利益が異なるのはおかしく、現状では区別取扱いがある

 

と事実を整理しました。

 

さらに現行民法や明治民法において同性愛を精神疾患としたことについては『同性婚を否定した科学的, 医学的根拠は失われたもの』とみなし、その立法根拠を否定し、改正を行う道理が有ると示唆しています。

 

また歴史的経緯から婚姻を生殖行為が伴う夫婦に限定しているとはいえ、実際は明治民法以来変わらず『子のいる夫婦といない夫婦,生殖能力の有無, 子をつくる意思の有無による夫婦の法的地位の区別をしていない』上に、法の目的としては『夫婦の共同生活の法的保護が主たる目的』でもあることを改めて強調。子供の居ない婚姻世帯も増えている統計も示して、子を成さない同性カップルに、それを理由として婚姻を認めない理由はないと示唆しています。

 

婚姻の本質は,そのことは,それが表れているということができる。同性愛者の両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにあるが,異性愛と同性愛の差異ば性的指向の違いのみであることからすれば, 同性愛者であっても,その性的指向と合致する同性との間で,婚姻している異性同士と同様,婚姻の本質を伴った共同生活を営むことができる解される。

 

 ! 子どもが出来ないことを理由に婚姻を認めないのは不合理

! 同性カップルでも本質的に婚姻の目的に沿う

 

しかし、過去の民法では同性婚は認められていません。これを法的に素直に解釈すれば「同性婚を認めない合理的理由がある」ことになりますが、地裁はこれを「知見の変化によるもの」として、現在では同性婚もしくは同性パートナーシップを認める方向の運動が盛んになりつつ有るという統計も示し、過去の法律を現在の合理性を判断する根拠には出来ないとしました。

 

同性婚について定めなかったのは,同性愛は精神疾患とされ,同性愛者は,社会通念に合致した正常な婚姻関係を築けないと考えられたためにすぎない

 

これにより、上記の婚姻の本質を正しく理解し、婚姻しようとする同性カップルについて、知見の変化前の古い法律に記載がないからといって『一切の法的保護を否定する趣旨・目的まで有するものと解するのは相当ではない』と断定しています。そして憲法についても、『憲法24条の趣旨に照らしても同様で』と民法同様の解釈を認定しました。

 

! いまの法律で同性婚が認められないのは科学知識が遅れてきただけで、新しい知識が浸透した今、同性婚を積極的に否定する材料とは言えない

! 憲法24条には同性婚の規定がないが、これは上と同じく知識の遅れが原因であり、積極的に同性婚を否定する規定ではない(肯定するものでもない)

! 『性的指向による区別取扱いを解消することを要請する国民意識が高まっていること』、また諸外国でもそうであることは、本件区別取扱いの改廃についての合理的判断の根拠の一助になりうる

 

 

そのうえで、、同性カップルを認められない人たちについても寄り添うような、同情的な見解を示しつつも、

 

同性愛を精神疾患の 1つとし,禁止すべきものとする知見は,昭和 55年頃までは,国際的にも我が国においても通用していたものであり,それは教育の領域においても広く示されていたものであった。

同性愛を精神疾患とする知見は, 現在は,科学的・医学的には否定されているものであるが, 上記のような経緯もあって, 同性婚に対する否定的な意見や価値観が形成され続けてきたことに照らせば, そのような意見や価値観を持つ国民が少なからずいることもまた考慮されなければならない。 

しかしながら,繰り返し説示してきたとおり, 同性愛はいかなる意味でも精神疾患ではなく, 自らの意思に基づいて選択・変更できるものでもないことは,現在においては確立した知見になっている

 

圧倒的多数派である異性愛者の理解又は許容がなければ,同性愛者のカップルは,重要な法的利益である婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の一部であってもこれを受け得ないとするのは,同性愛者のカップルを保護することによって我が国の伝統的な家族観に多少なりとも変容をもたらすであろうことを考慮しても,異性愛者と比して, 自らの意思で同性愛を選択したのではない同性愛者の保護にあまりにも欠けるといわざるを得ない

 

と、繰り返し科学的知見に基づく判断を求め、また「ただ婚姻したいだけの少数派が、圧倒的多数派の同意を得なければ権利を得られないのはおかしい」と異性愛者が同性愛者の首根っこを押さえる状態の不合理さを指摘。

いまのところ多数派である「同性愛者を嫌悪する国民感情は」『限定的に勘酌されるべきものといわざるを得ない』とまで断じました。

 

ここで国は、2個めの本件区別取扱いの解消方法を提示しました。

『同性愛者のカップルであっても,契約や遺言により婚姻と同様の法的効果を享受することができるから,不利益はない』

 

これについても、地裁はバッサリ切り捨てました。

婚姻によって生じる法的効果の本質は,身分関係の創設・公証と,その身分関係に応じた法的地位を付与する点にあるといえる。そうすると,婚姻は,契約や遺言など身分関係と関連しない個別の債権債務関係を発生させる法律行為によって代替できるものとはいえない。

 

そもそも,民法は,契約や遺言を婚姻の代替手段として規定しているものではなく,異性愛者であれば,婚姻のほか,契約や遺言等によって更に当事者間の権利義務関係を形成することができるが,同性愛者にはそもそも婚姻という手段がないのであって,同じ法的手段が提供されているとはいえないことは明らかである。

 

(中略)

以上のことからすれば,婚姻と契約や遺言は,その目的や法的効果が異なるものといえるから,契約や遺言によって個別の債権債務関係を発生させられることは,婚姻によつて生じる法的効果の代替となり得るものとはいえず,被告の上記主張は,採用することができない。

 

 

特に、以前から言われていた同性カップルにおける相続権の問題についても、現在の制度では不利であると踏み込んでいます。

婚姻によって生じる法的効果の 1つである配偶者の相続権(民法 89 0条)についていえば,同性愛者のカップルであっても,遺贈又は死因贈与によって財産を移転させることはできるものの,相続の場合と異なり,遺留分減殺請求(同法 10 4 6条)を受ける可能性があるし,配偶者短期居住権(同法 10 3 7条)についていえば,当事者間の契約のみでは,第三者に対抗することができず,契約や遺言によって一定程度代替できる法的効果も婚姻によって生じる法的効果に及ぶものとはいえない

 

 

これらの判断から、地裁は次のように結論をまとめました。 

  • 本件区別取扱いは、差別的取扱いである
  • 憲法の3つの条文は正当なものだが、科学の進歩で同性婚についての内容が不足してきている。したがって記載がないことをもって『同性愛者のカップルに対する一切の法的保護を否定する理由となるものではない
  • ただし、同性婚は『同性間であるがゆえに必然的に異性間の婚姻や家族に関する制度と全く 同じ制度とはならない』ため、いまの憲法から具体的な制度を早急に見出すことは出来ず、国会の判断を待つ必要がある
  • もしこの国会の判断で、同性婚を否定する社会事情を斟酌して同性婚を認めなかったとしても、それは判断として認められるが、そのような古い知見に基づく国民感情は『限定的に斟酌』すべきであり、同性愛者に『婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しない』ことは24条に与えられた裁量権の範囲を超える不合理かつ差別的取扱いである

 

○賠償請求

最後に、いちおう今回の訴訟の本題であった賠償請求について。

同性婚が認められないことを不合理と知りながら、なにもしなかったことに対する賠償を請求するものです。

こちらは、この同性愛者の婚姻を検討しだしたのが平成16年頃からであり、そもそも国会には不合理を認知することは出来なかったと判断。知り得なかったことは当然で、それに対する賠償請求は無理筋であるので、棄却とされました。

 

○結果どうなった?

結果は報道と冒頭の要約の通り。

賠償は棄却であるため原告敗訴となりますが、結果として国は控訴が出来ず、この地裁の判決はとりあえずはこのまま残ることになります。

ただし、同性婚の裁判は各地で並行して行われているため、他の地裁で判決が出た後、控訴審の末に高裁や最高裁が「合憲」と上書きをする可能性は残っています。

またこの判決で「24条は婚姻を異性婚と定義している」としたため、「同性婚には憲法改正(23条)が必要」という立場と、「国会の判断で同性婚は整備できる」という2つの立場が残っています。くわえて日本では9条について「解釈改憲」という、条文はそのままに読み取り方を変えるということをしたことがあるため、一応それも第3の選択肢に入ってきます。

(上の解釈に無意識に信条が混ざっているかもしれないので明かしておくと、私個人としては「国会の判断で同性婚は整備できるが、解釈改憲が望ましい」という立場に立っています。いずれにしても、複数の意見を聞き、自分の解釈を持つことが重要ではないかと思います。)

 

重要なのは、今すぐに同性婚は認められません。

これはあくまで第一歩。

わずかな原告が行動することで、国という巨像の未来が変わるという大きな第一歩です。

次の一歩を期待し、それぞれの立場で、それぞれの意見を発信していきましょう。